インディーズTシャツブームの到来

最初に

東京Tシャツ部は「インディーズTシャツブランド」を主に紹介するサイトなのですが、今まで「そもそもインディーズTシャツブランドとは何なのか?」の説明をしたことがありませんでした。

今回はクラゲが語る「インディーズTシャツブーム到来」と「インディーズブランド第2世代」についてお送りします。

※こちらは『HEADGOONIE T-SHIRTS MAGAZINE vol.1』に収録された「東京Tシャツ部クラゲが語る。インディーズTシャツの定義から未来まで」を、ヘッドグーニー編集部のご好意により、一部編集して掲載したものとなります

インディーズTシャツブーム到来

MARS16 主催で、小樽の大きな催事場を使って年間通してインディーズTシャツを販売する「めーてるT4」がはじまったり、No More Tear 主催の各地パルコをまわる全国ツアーがあったり、middle とハンバーグ009 主催で東京・大阪で開催の「Tシャツナウ」だったり、この頃から、地方でも大きな祭事が開催されるようになって、都内だけじゃなく広く全国に広まっていった時期だと思います。

インディーズブランド専門のセレクトショップ「NO MORE TEARS」が下北沢にオープンしたのもこの頃ですね。

祭事だけではなく、『月刊ファッション販売』というファッション専門誌上でインディーズブランドの特集が組まれたり、『NO T-SHIRTS NO LIFE』というインディーズTシャツのみを扱ったムック本が出たりして、一般メディアでも大きく取り上げられていました。

インディーズブランド第2世代

ブーム自体は2007年頃で一旦落着いてしまうんですが、「HEADGOONIE」や「JETLINK」など、これまでの源流の流れを汲んでない、第2世代というか、別の流れを持ったブランドも参入して来た頃ですね。

今まで3,800円前後が支流だった価格帯も、5,800円くらいの価格設定をするブランドも出てきたり、Tシャツだけじゃなく、パンツやジャケットもオリジナルでつくったり、いわゆる原宿系の血も入ってきて、さらに業界自体の幅が広がりをみせた時期だと思います。

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