第100回目「Tシャツブランドインタビュー」~ 久米繊維工業編

第100回目のTシャツブランドインタビューは「久米繊維工業編」です。

久米繊維工業のサイトはこちらです

 久米繊維工業
 http://kume.jp/


今回でインタビュー100本目となりました!ということで、記念の100本目は久米繊維工業の久米信行さんにインタビューを行いました。

日本では数少なくなってしまった日本製のTシャツメーカーであり、日本でTシャツ関連のビジネスをやっていると必ず久米さんに通じるというほどのお方。

日本で一番有名なTシャツの1つである「24時間Tシャツ」はこちらで作成しているんですよ。

今回は100回目の記念版となります。どういうお話が伺えるのか?お楽しみに。

第100回目「Tシャツブランドインタビュー」~ 久米繊維工業編 (2011/7/6収録)

クラゲ : 今日はよろしくお願いします。

久米 : よろしくお願いします。

クラゲ : まず最初に、久米さんの会社「久米繊維工業」についてご紹介していただけますでしょうか?

久米 : 私たち久米繊維工業は、1935年創業の日本製Tシャツメーカーです。モットーは「日本でこそ作りえるTシャツを世界に、未来の子供たち」に発信することです。日本が誇る紡績、編み立て技術を生かした特別な綿ニット編地を、日本ならではの多彩な色に染め上げ、私たちの国内直営工場で裁断・縫製から、プリントまで手しごとで行っています。

戦後まもなくの間、私たちは、シアーズやブルーミングデールなど米国へのTシャツの輸出を行っていました。そして、高度成長期からバブル期にかけては、日本に出回るTシャツのかなりの部分を私たちが生産しておりました。

安価な海外製Tシャツが全盛の今でも、私たちは国内生産にこだわっております。賃金の安い中国などに生産拠点が移ってしまったので、私たち国産Tシャツメーカーは絶滅危惧種といってもいいかもしれません。残念ながら、日本における衣料品自給率は4%台まで落ち込み、Tシャツはほとんど国内で生産されていないのです。

しかし、一部の目の肥えたお客様や、日本の文化を大切にされているお客様方に愛されて、おかげさまで今日まで仕事を続けることができました。

私は、久米繊維の三代目経営者です。本社兼自宅でVAN、Jun、ケンメリなど歴史的名作Tシャツに囲まれて生まれ、父が運転するトラックで納品兼ドライブをしながら育ちました。

長男の宿命で会社を継ぐべく、大学では経済を学び、これから世界経済の主役になるであろう中国の経済改革を現地で目の当たりにしました。その結果、通常の手法では伸び行く中国に太刀打ちできないと痛感しました。そこで、まったく違う業種で修行しようと、ゲーム会社に就職してゲームデザイナーと飛び込み営業を、その後、証券会社で人工知能を使った資産運用と相続診断のシステム開発と支店展開を行いました。

そのおかげで、父の会社に戻った後も、いちはやくパソコン通信やインターネットなどを活用でき、新しいお客様と出会いご縁を広げることができました。異業種のアーティストや、若きクリエイターと、これまでにないTシャツを作ったり、楽しいイベントを企画することができたのです。

今は人生の後半戦に入って、社会にお返しをする役割になっています。地元、東京や墨田区の観光や街づくり、さらにはオーケストラや美術館などの文化振興を図るといった、公的な仕事で汗を流す機会が増えました。久米繊維の本社がある墨田区には、東京スカイツリーや、すみだ北斎美術館ができて、これからは世界中から観光客が集まるでしょう。私たち久米繊維のTシャツのみならず、地元のカバン、靴、せっけんなど、世界に発信できるすみだブランドを、みんなで一社一品ずつ創造していきます。そして、東京の下町を、クールジャパンの象徴となるような場所にしたいのです。

もちろん、今は大震災と原発の影響も大きいです。しかし、日本発の「ものづくり」も「ことおこし」は、まさにこれから面白くなるところです。久米繊維も私も、ますます元気になりますから、ご期待ください。



クラゲ : 現在の事業内容を教えてください。

久米 : 私たちの事業は、久米繊維ならではの定番Tシャツを、自社工場で手作りし、自ら在庫して、無地やプリントつきでお納めする仕事が中心です。お客様のブランドでお作りすることもありますが、おかげさまで、久米繊維謹製のネーム、あるいは私たちとのWネームをご所望くださるお客様も増えました。

いつも、私たちは3つの品質=機能品質×環境品質×文化品質を大切にしています。

機能品質とは、最高級の素材を使い、脇に縫い目のない丸編みにするなど、着心地と耐久性をきわめることで、長くご愛用いただける製品にすることです。

環境品質とは、無農薬有機栽培のオーガニックコットンを筆頭に、人と地球にやさしい天然素材を使い、さらに、太陽光や風力などグリーン電力を使って、手仕事中心でものづくりをすることです。

文化品質とは、日本ならではのデザインや質感を実現して、日本の美徳や文化を守る人たちの応援をしたり、誰もがTシャツの表現者として参加できるイベントや組織を応援することです。

私たちはメーカーですので、原則として法人向けにTシャツをご提供しております。アパレル、百貨店、専門店といった旧来のファッションビジネスチャンネルに加え、広告やイベント関係、ユニフォーム関係も多いおです。時代を反映して、代理店経由よりも、直接Tシャツを使った販売やイベントの企画をするお客様から、直接のご注文をいただくことも増えています。さらに、最近では、自社のネットショップ(T-galaxy)amazon ストア経由で、個人のお客様からのご注文も増えました。

今、挑戦していることはたくさんありますが、日本発の「Tシャツを超えるTシャツ」を産み出すプロジェクトを、一社員一事業体制で創造しています。世界でもファンを増やしている日本酒の蔵元や書道家などとのコラボレーション、被災地支援も兼ねてTシャツアート展やワークショップを全国で開くプロジェクトなどが、各担当者の力で同時進行中です。私たちの社員は、誰もがブログ、メルマガ、ツイッターなどを駆使し、特定ジャンルのイベントや勉強会にも積極的に参加しているので、各ジャンルで私以上に有名な達人も少なくありません。それが私の大きな喜びです。

また、NPOやNGOの活動を応援するために、チャリティTシャツやイベントグッズの商品開発や販売企画のお手伝いもしています。もともと、私たちは30年来、日本テレビ24時間テレビのチャリTシャツを、裏方でお支えしています。この数年、日本でもNPOの活動が盛んになりましたが、特に3.11の東日本大震災以降、社会貢献活動に拍車がかかっています。

クラゲ : 久米繊維工業がTシャツを扱うようになったきっかけを教えてください。

久米 : 戦前は、祖父がメリヤス肌着の小さな工場を経営していました。戦後、焼け野原から復興した際に、洋画マニアでもあった若き二代目の父が、マーロン・ブランド「欲望という名の電車」、ジェームス・ディーン「理由なき反抗」などの名画に触発されて、Tシャツを作ろうと決意しました。

最初は、お得意先の問屋さんに持っていても、Tシャツに理解は得られなかったようです。そこで父は「色丸首」というわかりやすい日本語にして発売をはじめました。

その後、VANジャケットを作った石津謙介さんとの父との出会いもあり、ブランドロゴを胸などに冠したTシャツが、少しずつ認められていき、やがてTシャツが私たちの主力商品になっていきました。



クラゲ : インターネットを使ってオリジナルTシャツを作成・販売する個人クリエイターが増えてますが、この現象についてどうお考えですか?

久米 : すばらしいことだと思います。私が 1996年に T-galaxy.com を立ち上げた理由は、「Tシャツを着たい人が自らデザインをするプロシューマ時代が到来する」と直感したからです。

90年代初頭、私が、父の会社に戻って最初に手がけた仕事のひとつが、大好きなジョン・レノンのTシャツプロジェクトでした。ライセンスを取得されたお得意先にまかされ、当時はまだ珍しかったアップルのコンピュータを導入して、「自分が着たいTシャツをデザイン」してヒットしたのです。私に絵の才能があったり、特別なデザイン教育の経験があったわけではありません。それでも、着たいTシャツのイメージが頭に浮かべば、コンピュータがサポートをしてくれました。

その時、私の人生は変わりました。私がデザインしたTシャツを自分で着たり、それを着ている人と街ですれ違ったりすることは、どれだけ幸せなことか実感したのです。そして、誰もがその喜びを味わえる日が来るだろうと思ったのです。

さらに、私が日興證券時代に一緒にシステムを開発した富士通の恩人が、ニフティに異動になりました。そしてパソコン通信やインターネットの扉を開いてくれたのです。いずれ、多くの人が、パソコンでTシャツのデザインをして、インターネットで販売をする時代が来ると確信しました。当時は、ネットで検索しても、Tシャツショップがいくつか表示されるだけでしたが、今では、自称Tシャツデザイナーが星の数ほどヒットします。

時代は、まさにプロシューマ・レスポンスの時代になったのです。一億総デザイナーの時代といってもいいでしょう。

先日、地元の中学校でTシャツデザインの講師をした際に、全員がユニークなデザインを発表しました。そして驚いたことに「自分がデザインしたTシャツを着たい」と全員が手を上げたのに、「友人がデザインしたTシャツ着たい」と手を上げた人はいなかったのです。これは、誰もが同じブランドを着て喜んでいた、3~40年前の私の青春時代には考えられなかったことです。

そんなクリエイターの中から、未来の葛飾北斎、50年後100年後世界に認められる天才が現れ、一緒にTシャツを作ることが私の夢なのです。

クラゲ : 久米さんにとってTシャツとは?

久米 : 私の人生そのものです。おひさまや大地の恵みから生まれ、職人やクリエイターの想いをこめて作られ、着る人や見る人の対話から育っていく特別な宝物。。生涯をかけて創造し、収集し、愛用し続ける大切な宝物です。さらには、自分を、その人を映し出し、想像もしないご縁を紡ぎだすメディアだと思います。

クラゲ : 最後に東京Tシャツ部をご覧の皆様に一言いただけますでしょうか。

久米 : Tシャツが大好きな人でも、そのTシャツの素材が育った場所や、作り出す職人やクリエイターの顔を思い浮かべる人は、まだ少ないでしょう。グローバル分業で安価に作られたファーストファッションが全盛の時代ですが、作り手やクリエイターの顔が見える一生もののスローファッションにも、少しだけ興味を持ってください。

そうすれば、特別な宝物が手に入るはずです。それを着るみなさんや大切な人たちが、Tシャツを介して、作り手とつながった瞬間、一枚のTシャツが特別なものに変わり、みなさんの意識も変わるはずです。

あと、2~3年もすれば、経済成長著しい中国などで作るコストと、成熟化した日本で作るコストは変わらなくなるはずです。しかし、このままでは、日本国内にTシャツだけではなくファッションを作れる工場がなくなってしまいます。高度の技を持つ職人も年を重ね、減っていく一方です。東日本大震災で、繊維の工場も数多く被災され、その傾向に拍車がかかっているのです。

本来なら、日本の文化やものづくりに興味を持つ海外の方が増えているので、日本のものづくりは支えられるはずでした。しかし原発事故の影響もあって、海外からの旅行客は来なくなり、輸出もぴったり止まってしまいました。

あと3年、なんとか、日本のものづくりの現場を残すことができれば、必ずや日本発のファッションが世界を変えていく時代が来るはずです。しかしこのままでは、たとえ私たちががんばっても、紡績工場や染色工場がなくなってしまいます。

ぜひ、誰よりもTシャツを愛する東京Tシャツ部のみなさんの力で、日本でこそ作りえるTシャツを世界に、未来の子供たちに発信するお力を、私たち日本のものづくり企業に貸してください!

クラゲ : 今日はありがとうございました。

久米 : ありがとうございました。



インタビューはこれで終わりです。

クラゲが東京Tシャツ部をはじめた2002年10月に、既に久米さんは、オールアバウトの「Tシャツガイド」をされていて、インターネットで見ることの出来るTシャツ情報サイトの先輩でした。

東京Tシャツ部が部員100人達成したときに「100人達成記念Tシャツ」を作成し、その記事をオールアバウトで紹介してくれたこともありました。

Tシャツの大いなる先人として、Tシャツインタビューを開始したときから、100回目は久米さんにお願いしようと思ってました。ということで、今回のインタビューはクラゲにとって非常にうれしい回でした。

久米さんとは年に1,2回ほどお会いすることがあり、その会話の中でもTシャツを愛し、Tシャツの今後を憂いでいることを度々お伺いします。インタビュー内でもあった「あと3年、なんとか、日本のものづくりの現場を残すことができれば、必ずや日本発のファッションが世界を変えていく時代がくるはずです」という言葉に衝撃を受けました。

僕たちTシャツ好きが出来ることは何か?じっくり考えてみるのもいいかもしれません。
ということで、今回ご協力いただいた「久米繊維工業」のサイトはコチラ。そして「T-galaxy」のサイトはコチラ。

 久米繊維工業
 http://kume.jp/

 T-galaxy
 http://www.t-galaxy.com/

このインタビューを読んだ後にTシャツを見てみると、新しい発見があるかもしれませんよ。

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